霧谷 海兎のキリトリセン

お金や投資を中心に、さまざまなことについての知識・経験・思考を共有していきます。

「アニメの世界に住んでる実感はありますか?」

「アニメの世界に住んでる実感はありますか?」

この質問をされたとき、最初はどういう意図で聞いているか分からなかった。

 

大学3年生の9月、就職活動の真っ只中。外資IT企業の1週間のサマーインターンを乗り切った後。この質問は、インターンに一緒に参加していた中国人の留学生の女の子から発せられたものだ。

 

僕と彼女は同じチームだったが、グループワークに必死になっていたため、ほとんど彼女についての事は知らなかった。

 

インターンの始めに、ある男子学生が「アニメが好きです。特にSAOが好き」

と自己紹介していた。僕は彼と大学が同じだったため仲良くなったのだが、彼と一緒にインターンが終わった後、彼女に声をかけられた(どっちかと言うと、話しかけられたのは僕ではなく彼かも)

 

話を聞くと、彼女はアニメ好きが高じて日本に留学に来ることに決めたらしい。アニメ好きの日本人としてはうれしい話だ。面白いと思ったのが、「彼女が日本に来て以降、自分がアニメの世界に住んでいるような感覚だ。自分が物語の主人公になったような気分だ」と言っていたことである。そこからタイトルにもある質問に繋がっていった。

 

もちろん僕たちの回答は「ないよ」である。

 

おそらく僕含め、日本人にとってアニメで描かれる世界は、多少美化・脚色された日本といった認識なので、普段の日常に生きてる時に「アニメみたい!アニメの世界に生きてる!」と思うことはないだろう。もちろん、舞台になった土地に行く聖地巡礼を行うと、似たような感情になることはある。

 

どちらに先に触れるかという時系列の話もある。僕たち日本人は一般に、生まれたときから日本に住んでいる。その世界で生きてる僕たちから、あちらの世界を見ると、「現実を切り取って美化したもの」になる。

 

しかし、アニメの世界を通して日本を見た海外の人からすれば、「あの世界が実在するんだ」という感覚になるのではないだろうか。ラピュタはあったんだ......!

 

異世界もののアニメは、大体中世ヨーロッパあたりの風景が描かれているが、もし現代のヨーロッパに似たような風景があれば、日本人であってもそこを訪れた際に同じような感覚を抱くであろう。

 

留学生の子とアニメに関して話すことで、(もちろん個々人による違いも大きいが)文化や生まれ育った場所によって、ある対象への見方が異なるというのを身をもって体感した。

 

価値観を常に他者に合わせることはできない。

 

よく「偏見をなくそう」と唱えられるが、人間は自分と違った価値観を簡単には受け入れられない。自分のアイデンティティの中心に近いものならなおさらである。

 

偏見をなくすのではなく、他者との差異を知り、人間は誰しも偏見を持ちうると心得た上で気遣いや思いやりをもって言動を行える人間になりたい。

 

留学生の彼女と、僕と、これを読んでるあなたが、素敵な物語の主人公になれることを願って。

 

おわり

 

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