霧谷 海兎のキリトリセン

お金や投資を中心に、さまざまなことについての知識・経験・思考を共有していきます。

切れ端の思考#3「本当の自分と偽りの自分」

こんにちは、霧谷 海兎です。

 

「本当の自分はこんなんじゃない」みたいな話はよくありますよね。

 

学生時代だとテスト返ってきた後に「本当はもっとできるけどあんま勉強しなかったからこんなもんだわ」とか言ってみたり。

ツイッターとかで「偽りの自分を演じて、周りに合わせて笑ってる。しんどい」とか言ってみたり。

 

本当の自分と偽りの自分に分けて考えたり語ったりする人は多いですよね。

とはいえ僕は本当の自分って人々の心の中だけにある幻想なんじゃないかと思ったりするわけです。

 

先ほどの例でいえば「俺本気出せばもっとできるわ」的な発言をする人が、本気出してもっとできたところを見たことがありません。「本気出せばできる俺」は彼の頭の中にしかおらず、他人からはとてもではないですがそう見えません。言い方を選ばなければ妄想や願望に過ぎません。

 

2つ目の例で言うと、偽りの自分を演じているのではなく、「自分を押し通したりすることは苦手で、自分よりも集団の和を優先させる」という「本当の自分」が表出してるのではないでしょうか。

 

人間の脳みそは一貫性や単純なものを好むので「自分の特性は●●である」と決めてしまいがちです。ですが、一貫した不変な自己というものは無いですし、特性を断言することもできないと思います。

 

僕は物理的な集合のシーンで、待ち合わせ場所に遅れるのがものすごく嫌です。下手したら1時間ぐらい前についていることもありますし、30分ぐらい前には大体現地か近くのカフェや本屋にいたりします。一方で、気心の知れた友達との通話にはよく遅刻します。また、お店などの予約には時間ぴったりに着くか、数分遅れることが多いです。

 

僕は時間に厳格な人間ですか?それともだらしないでしょうか?

場合によるし、どっちとも言えないというのが実際だと思いますし、それでいいのではないでしょうか。

 

自分にラベルを貼るのがよいこともあります。たとえば「自分は努力家なんだ」と思い、その自己イメージを守るために努力が続けられるのであれば素晴らしいことです。しかし、一方でそうしたラベル付けを行ってしまった場合頑張れない時には自分を攻撃しがちです。「自分はダメな奴だ」などと自分で自分を痛めつけてしまっては目も当てられません。

 

本当の自分と偽りの自分の乖離に苦しんでいる人もよく見かけます。しかしそれは単に、人といる時にいる自分と、一人の時の自分という姿があるだけです。

 

自分が苦しくなる「本当の自分」という幻想を作り上げることは、できれば避けたいものですね。

 

それでは今日はこの辺で。また次回!

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