霧谷 海兎のキリトリセン

お金や投資を中心に、さまざまなことについての知識・経験・思考を共有していきます。

首都大学東京という場所

はじめに

東京都八王子市南大沢駅から徒歩数分、アウトレットの目の前に存在する大学がある。昨年度まで首都大学東京と呼ばれていた大学である。元々は、旧東京都立大学を含めいくつかの大学が合併してできた大学であったが、「首都大学東京」の知名度の低さから改めて「東京都立大学」に呼称が改められた。

 

入学当初は「知名度も低いし名前ダサすぎる!東京都立大学に戻せ!」などと思っていたが、3年も経つと愛着も湧くもので、こんなツイートまでしてしまう始末。

f:id:kiriya_kaito:20201120161110p:plain

 

今年で最後かなんて思いつつ、もう家も引き払ってしまい大学のキャンパスに通うこともない。このまま記憶を風化させてしまうのも少し寂しい。ということで、形に残すために記事にしてみる。

 

YOUは何しに首都大へ?

首都大学東京という大学はとにかく知名度が低い。以前「国際信州学院大学」という架空の大学をさもあるかのようにツイートするというのがツイッターで流行ったことがある。その時に首都大の知名度の低さを皮肉ってこんなツイートをした。

f:id:kiriya_kaito:20201120161506p:plain

このツイートはだいぶ伸びたが、不謹慎だみたいな叩かれ方をめちゃくちゃされた。ちなみに叩いてきた人は在学生でも教職員でもなく、何の関係もない人だった。「友達がその大学に落ちたことあるんです!不愉快です!」みたいな人がいて限りなく本人関係ねえじゃんって思った。でも偉いから無視した。

 

僕のツイートの話はとりあえず置いておく。ともかく、それほどまでに知名度が低いのが首都大学東京という大学だ。関東圏では知っている人もちらほらいるが、地元に帰った時に知っている人なんていない。

 

?「どこの大学?」

僕「首都大学東京です」

?「へえ。どこにある大学?」

 

なんて言われたこともあった。東京に決まってんだろ。

とはいえ首都を冠しておきながらメインキャンパスが23区にあるわけでもないので、あまり強く反論もできないのも確か。

 

思い出話が多いので話が逸れに逸れるが勘弁してほしい。

 

この章の本題に戻る。それだけ知名度の低い大学を、広島の片田舎に住む当時高校生の僕は当然知らなかった。霧谷少年(少年?)は、とにかく外に出たかった。田舎はコミュニティが閉鎖的で優秀な人が少ないし、基本的に異質な人間は叩かれる(異質な人間が叩かれるのは人間のコミュニティであれば大なり小なりあるかもしれないが、田舎は特にその傾向が強い)そして、努力している人間をとにかく馬鹿にする傾向がある。

「何頑張っちゃってんの。身の丈に合った大学に行って、それなりに生きていこうぜ。どうせ俺らなんかじゃ無理だって」

みたいな感じ。ここにいたら腐ると思ったので、東京や大阪あたりに出たかった。親が広島から出ることを反対したが、なんとか許してもらえた。許可が出たので、東京の大学を探してみたが、国公立の後期日程で自分に合ってそうなのがここしかなかったので、現役の時にとりあえず出してみた。結果普通に落ちた。その後、広島駅前の河合塾で浪人したが、センター試験がとにかく苦手で上手くいかなかったので、その時は前期で首都大に出した。他にめぼしいところもなかったので、首都大に決めた。

 

大学を選ぶ条件は

・東京にキャンパスがあること

経営学を学べること

・一定以上レベルが高いこと

 

だった。首都大は条件は満たしてたが、正直オープンキャンパスにも行ったことがなく、入試でしか訪れたことがないので自分に合うかは分からなかった。

 

学生の雰囲気、縦横のつながり

そこそこの規模の大学ということもあって、首都大にはいろんな人がいた。首都大には留学経験があったり英語が話せる人向けの推薦入試があった。彼らは国際副専攻といい、普通の授業+αで授業をとることが求められる。1年生の時に、一度英語のスピーキングのクラスが一緒になったことがある。めちゃくちゃペラペラで、途中に小粋なジョークを挟んでいるのだが「何言ってるか分かんねえ。。。」とか思いながら、ニコニコしてた。あれを超える愛想笑いをしたことは人生でも数えるぐらいしかない。

 

また、首都大の経営には前期入試の段階でざっくり文系ルートと理系ルートの2つがある。理系出身の枠は少なく、なかなか見かけることは無いが、彼らは数学に強く、何度か教えを請うたこともある。

 

そんな一方で、首都大経営には「クズ経」という不名誉な呼称がある。経営は基本的に試験と課題で成績が決まることが多い。出席しなくてもなんとかなるため、怠惰な人はだんだん来なくなる。直前でなんとか帳尻を合わせる人もいるが、そのまま何の対策もせずに突っ込み散る人も多い。こういう人も結構いる。

 

平均的な首都大生のイメージは、大人しく優秀でリスクを嫌う。そのためか、公務員志望者が多く、教職課程をとっている人たちも多い。すごいと思わされることも多い反面で少し刺激に欠けるのも確か。

 

 

人のつながりはほとんどサークルかゼミでしかない。理系の数十人しかいないところは別だが、基本的にはクラスの概念が希薄で、誰が同じクラスかも覚えていない人が多い。

 

ちなみにOBとの繋がりだが、基本的に旧都立大学出身者は首都大学東京のことを嫌っている場合が多いらしい。今年度になって大学名が変わったが、おそらくそうした見方は変わらないだろう。

 

そんなこんなであまり自分の大学に多くの友人はできなかったが、数人仲の良い友達に恵まれたことは幸運だった。

キャンパスと周りの環境

大沢駅京王線で、新宿・渋谷ともに40分前後ぐらいのところにある。都心へのアクセスはお世辞にもいいとは言えない。サークルであったり、交友関係が他の大学が多かったため、よく出かけていたが、自分だけめちゃくちゃ遠くてつらかった思い出がある。終電で帰るのがめんどくさくて泊めてもらったりもしたし、酷いときにはネカフェに泊まったりもしていた。今考えるといや帰れよって感じだけど。

 

とはいえ地方出身の僕にとっては、ちょうど良かった。駅前に行けば大体一通りのものはあるし、一方で大学構内含め、まわりには緑が多い。あまりうるさすぎるのも落ち着かないので、そういう意味では良かった。あとこの辺りは、めちゃくちゃ家賃が安い。僕は大学から徒歩25分ぐらいのところに住んでいたが、家賃は3万そこそこだった。とても東京都は思えん。。。

 

ちなみに南大沢キャンパスは鬼のように横に長い。以前昼時に飯も食わずに散歩していたら、戻ってくるのが3限に間に合わなかったことがある。西から文系エリア・理系エリア・体育エリアと分かれている。体育は必修ではないが興味があったので履修しようかと思っていたが、授業終わってから10分で体育エリアまで行くには歩いていたら間に合わないので流石に嫌だなと思って履修しなかった。

授業

これに関しては何とも言いかねる。合う合わないとか好みの問題も多い。大体半期に12とか13コマ入れて、2個ぐらい面白い授業があれば良いかって感じだった。個人的には経営心理みたいな話やゲーム理論が刺さった。特に1番良かったのは、少人数授業の専門書購読という授業だった。この授業は2人しか受けておらず、教員の方との対話を通じて人生観や職業観に強く影響を受けた。この授業のためだけにでも入学してよかったと思える経験だった。最後に3,4年次にはゼミがあるが、これと卒論どちらも任意である。ゼミに入ると卒論をやらされるケースが多いが、うちのゼミにはそうした縛りがない。また、担当教員の専門に限らず、経済や経営や統計などの範囲でなら何でも好きなことも研究テーマにできる。就職活動にも配慮してくれ、4年前期は出席義務もない。僕の場合は就職活動は3年後期が主だったが、その際もかなり配慮していただいた。かなり自由にさせてもらって非常に感謝している。

 

おわりに

「なんかよく分からない大学に入っちゃったな」と大学1年の時に思った。自分の望む経験や知識が得られないかもしれないと思い、入学後は他の大学の大学院に進学しようかとも考えた。2年生になる頃にはそういった考えはなくなった。そして卒業を控えた今でも、後悔はない。高校の時、僕は学校が嫌いだった。そんな僕にとって、もう名前は変わってしまったが首都大は、何かの拍子に訪れた際、懐かしさと親しみを感じられる場所になったんじゃないかと思う。

f:id:kiriya_kaito:20201120175325j:plain

 

プライバシーポリシー