霧谷 海兎のキリトリセン

お金や投資を中心に、さまざまなことについての知識・経験・思考を共有していきます。

「しない」をする

はじめに

こんにちは、霧谷 海兎です。皆さんは日頃何してますか?社会人の方はお仕事であったり、学生の方は勉強であったり......また、誰しも息抜きに出かけたりゲームや読書をしたりするかもしれません。

 

それでは逆に普段していることを意図的にしない時はありますでしょうか。基本的に我々は「起こっていること」「その場に現れたもの」という「ある・する」といった状態や行動に注目しがちです。しかし、何かをすることは何かしないことでもあります。表裏一体であるのに、一側面にしか目がいかないと、偏った状態になりかねません。

 

そんなことを考えながら、「しない」をしている日々です。

「しない」をしてみる

具体的な例を挙げながらしないことに関して語っていきましょう。一番分かりやすい例は、スマホでしょうか。今の世の中は情報に溢れています。触れようと意識しなくても、大量の情報が入ってきます。若い世代はスマホが多いですが、テレビやPCもまた同じです。確かに有用な情報を得られることもあるでしょうが、常に情報や刺激にさらされていると、判断や意思決定が鈍りかねないです。電源を切って取り出しにくいところに置くなりしてみるのがよいでしょう。僕の場合、スマホを置いて散歩に行くことが多いです。最近は夜空が綺麗なので、空を眺めながら歩いたりします。30分から長いときは1時間ぐらい歩きますが、この時間は何物にも代えがたいです。

 

スマホなどのデジタルデバイスを使わない、いわゆる「デジタルデトックス」はよく本などでも語られますし、聞く機会も多いです。一方で「そんなことは言われなくてもわかってるし、説教臭い」と感じるのもまた事実かなと思います。というわけで、また別の例を挙げてみましょう。

 

コミュニケーションをとらない/考えない

人とのコミュニケーションは、人間であれば避けては通ることができないものです。しかし、一方で常に人とつながっているのはなかなか落ち着きません。僕の場合は、年に数度、数日~数週間普段使ってるTwitterから離れます。LINEは年中通知をOFFにしています。また、デジタルな繋がりだけでなく、リアルなコミュニケーションも最低限以外取らない時期を設けます。一度離れてみると、惰性のコミュニケーションだったなと思うこともありますし、一方で自分にとって大事な繋がりなんだと強く実感することもあります。目の前にある時と、離れてみる時では物の見方は異なります。たまには目の前の物事から離れて遠くから眺めててもいいのではないでしょうか。

 

最後は考えないです。これは意外と難しいです。現代人はやることが山積みで、かつまわりに情報があふれているため、常に思考に追われています。しかし、冒頭でも述べた通り、これは偏った状態です。これは僕の考えなのですが、偏った状態はいつかツケを払わされる羽目になります。メタやバランスやグラデーションといった思考については、以下のnoteにまとめていますのでよかったら、読んでみてください。

 

 

考えないについての話を続けます。一番近い例でいえば瞑想ですが、これもまた「意識高そう......」なんて思って敬遠する人が多そうですね。実際結構いいのですが、瞑想の話は置いておきましょう。ただ何もせず、何も考えない。これだけやってみてください。これまで「しないこと」のメリットみたいなことを言っていますが、それらは全て捨ててみてください。そもそも常に利益や義務のために行動するのは、あまり好ましくないように思います。無駄を愛するぐらいでちょうどいいのではないでしょうか。もちろん、仕事の際など、無駄を省かなければならないときもあります。そのあたりは臨機応変にバランスをとりながらやっていきたいですね。効率と無駄についても以下のnoteに書いてあるので参考にしてみてください。

 

「何もしない、考えない」をやってみた後、何か気づきや感情の変化があったらぜひ教えてください。普段あまりやらないことをやってみたり、やっていることをやらないでみたりするのは、実利を除いてもそれだけで楽しいものだったりしますよ。

 

おわりに

久々に読書記録以外の記事を書くことができて大満足の霧谷です。毎日読書記録をやっていると意外と記事を書けなくなりがちです。ただ、それだと単調ですし、あまり僕が文章を書く意味がなくなってしまう部分もあります。今後も、日々考えてることや、経験や知ったことについて書いていこうと思いますので、お付き合いください。

 

 

あ、でも。

 

記事を書かないっていうのも、たまには良いかもしれないですね(笑)

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