霧谷 海兎のキリトリセン

お金や投資を中心に、さまざまなことについての知識・経験・思考を共有していきます。

幸せの閾値は低く

こんにちは、霧谷 海兎です。好きな食べ物は寿司ですが、答えとしてベタ過ぎるので普段好きなものを聞かれたときは寄せ鍋とか答えてます。小さいころは毎日寿司が食べられたらどんなにいいだろうと思っていました。大人になって考えるとあんまり魅力的には思えないですよね。ケーキとか好きなだけ食べられれば良いのにとかも昔思ってましたが、今は3つ以上は食べられなくなってしまいました。大人になるっていいことばかりじゃないね。

 

さて、今回は幸せをどう感じるかというお話です。僕は「人生幸せならそれでいい」っていうスタンスなんですが、幸せかどうかってバチバチ主観じゃないですか。幸せのためにお金だったり、地位だったり、恋人だったりを追求する人っていますけど、果たしてそれを得たときに幸福を感じるかは自分次第なわけで。その辺を考えると、客観的というか目に見える目標を追うだけでなく、自分の感じ方の方も考えるべきではないかと思うわけです。なんか言ってることサイコパスっぽいですが、少なくとも僕にとっては大事なことです。

 

「幸せの閾値は低く、目標は高く」は僕のモットーですが、どうすれば閾値を下げられるのでしょう。僕が普段意識しているのは2つです。

 

(1)同じ対象に別の側面を見出す

(2)頻度を減らす

 

1つ目は、例えば普段の通勤通学の時に見かける景色や人に面白みを見出したりとか。いつも顔を合わせる家族や友人、同僚の今まで気づかなった考えだったり言動を探してみたりとか。23歳になった今でも、家族の新しい面を知ることはあって面白いです。

 

2つ目は、頻度を減らすことですね。人間関係の場合だと少し異なってきそうですが、娯楽だったりは結構な場合でこれが当てはまるでしょう。経済学には限界効用逓減の法則というものがあります。1単位増えるごとに、1単位あたりの効用が減っていくというものです。冒頭の例で言うと、1日目のお寿司はとても嬉しいです。2日目のお寿司は構嬉しい。3日目はそろそろ飽きてきて、4日目になると食べたくなくなります。ざっくり言うとこんな感じです。短い期間に高い頻度で幸福を得られる対象に触れることは、幸せの閾値を上げる行為だと言えるでしょう。ギャンブル中毒者やアルコール中毒者が同じ刺激では満足できなくなるように、娯楽などから感じる幸福も、短期間に多量に経験してしまうと満足できなくなるでしょう。それと逆に、幸福の閾値を下げる行為が、頻度を下げることです。久々に食べた親の料理がめちゃくちゃ美味しく感じたり、何年ぶりかの旅行がこれ以上ないぐらい楽しく感じたり。

 

人は目に見えるものに飛びつきがちです。お金や地位は簡単に僕たちを幸せにしてくれそうに思えます。もちろん、そういったものを追求することも重要です。僕もできるだけ追求しようとしています。ですが、分かりやすく幸せを与えてくれそうなものに飛びつくだけでなく、それを受け容れる器の方を手入れすることもまた重要ではないでしょうか。

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